迷惑かけたくない系

なるべく迷惑かけたくないと願っている人が少しでも気が楽になってくれたら嬉しい…(基本的に長いので長い!って怒らないで~)

「死にたい奴は死ね」言う人は何に激怒しているか

こんにちは。鈴木です。私の話は長いので、先に私のスタンスをハッキリさせておきますね。

私は、死にたい人が死ねたらいいのにな。とゆるく思っていますよ。

といいますのは、死にたい程の苦しみがどうしても取り除けない人が、生命を終わらせることで逃げることが出来るのなら、痛くもなく苦しくもなく怖くもない方法で、殺してあげたいのが自然な人情というものなのではないかなと。(実費は頂きたいですが…)

ただし現状は、現行の法律があるので実行しません。申し訳ありません。

なぜかというと、法律できちんと整備してくれないと、医師に死亡診断書を書いてもらって火葬して骨を集団納骨堂みたいなところに安置するという、一連の流れがスムーズに執り行えないんですよ。

私は人に迷惑を「わざと」かけるのがどうしても好きになれないですし、あなたの死体について文句を言われるのも見聞きしたくありません。 死体が 邪魔だとか、 見苦しいだとか、 腐って臭いだとか、 虫がたかって衛生上良くないとか、

迷惑がられるのが嫌なんですよ。穏便で円滑なのが好きです。潔癖症気味だからこう考えるというのもあるのでしょう。好きで潔癖症気味に育ったわけではありませんが。   ただ実は…疑問に思っていることもあります。 果たして解決する方法としてこれ(生命を終わらせる事)が最上なのか?という疑いです。生命を終わらせることで本当に解決するのかという疑いも含みます。自分が試したことがないので分からないのと、死んだ人に質問することが出来ないので、確信が持てません。 臨死体験した人の話はまだ死んでいない時の話なので、参考になりませんし。

しかし苦しんでいる人は、苦しみを減らすためにあらゆる事を試みるでしょう。自殺とはそのあらゆる選択肢の一つに過ぎません。ただ、成功すると他の方法が試せなくなるという違いはありますが。

自殺者が多いままの国は、人の苦しみに対処する能力が全体的に低い、幼稚なままの国です。ですからこの国では、「死にたい奴は死ね」という言葉が普通に野放しにされてしまっていますよね。 まるで、人をきちんと指導できる先生がいない小学校か幼稚園のように見えます。無法地帯のようです。 でもだからと言ってやたらと禁止令で縛り上げれば良いってものでもありませんが。

私はおせっかいなので、この手のテーマをブログで好んで扱っています。

では本題ですが…

「死にたい奴は死ね」と言う人は何に激怒しているか、でしたね。

まず私は良く知りもしない他人に向かって死ねという彼・彼女らをなぜ迷惑だと感じるかについて説明しておきます。

それは、迷惑をかけずに死ねる方法(例えば安楽死センターなど)を用意せずに、ただ自分の気分で「死ね」というからです。もし本当にそこらで死ねば、彼・彼女らはものすごく文句を言いますよね? 迷惑だとか。税金が無駄とか。本当に無責任で攻撃的なんですよ。怖い怖い。

そして基本的には奴らは自分の都合で攻撃したいだけで、安楽死合法化の為の署名にせっせとサインするなど、人の役に立つ行動はしません。笑

ではいよいよ、なぜ奴らは激怒し人を攻撃しはじめるのか?についてです。

冷静に考えて、誰か人に死ねとまで思うに至るには、それなりの出来事(または出来事の積み重ね)が何かしらあったはずですよね?

それを、「死にたい」と言っている人を見聞きした瞬間に反射的に「なら死ね」と思うからには、瞬間湯沸かし器状態になる何かがあるわけです。逆鱗に触れているという事です。

しかも、自分より弱っている人や弱そうな人にしか言わないずるさもあります。いやあねえ。

▼ なぜ・何が逆鱗(トリガー、引き金)となっているのか?

①自分が死にたくない、死について考えたくもない、生きていたい、だから突然目の前に「死の意識」を運んでくる者が現れたら反射的にぶったたく系

蚊などをぶち殺すのと同じような反応の仕方になっていると思われます。

自分は生きていてOKだが蚊は死んでもいい。そういう感覚だと思います。

②困っている人や苦しんでいる人を助けられない自分の無力さに気付きたくない(思い出したくない)のにそれに気付かされそうになったので、取りあえず反撃する系

気持ちとしては被害者であると思われる。一見、攻撃しようとしているように見えて実は防衛している。

何とかしてあげたいのにどうにも出来ない苦しさ。これに真っ直ぐ向き合える人ばかりではないよね。

それに、困っている人を助けられない(スキルがない・技術を知らない)ということは恐らく、本人が困っていることもスキルがなくて解決できないでしょう。そういう非常に危うい状態で生きているので、余裕はありません。

恐らく「辛さは独りで我慢する」「何か他のことで気を紛らわす」(つまり何も解決しない)、という対処法しか知らない人です。ですからそれ(辛さを一人で我慢する)をしない者のことは許せません。泣き言を言う人は許せません、自分は独りで耐えているのに。それで怒りを感じて、やろうと思えば攻撃開始できます。(思うだけで、一応相手の気持ちを予測して、言わない優しさがある人も。)

③最早、攻撃できるなら誰でも良いから攻撃したい系

この場合も②と似ています(余裕がない)が、かなり攻撃的に育っていないと、実際に人に向かって人を傷つけることは言えません。日頃から相当嫌な目に遭ってきた(虐められてきた)のではないかと思います。

また「人の嫌がることをするのは(嫌われちゃうから)やめましょうね」のような躾も受けていないで放置されてきたか。または口でだけそう言われて自分は親から沢山嫌な事されたか。 子供の側からすれば親に放置されたり無視されたり親が矛盾してるとすれば腹が立ちますよね。子供の頃からの怒りが相当たまっていて、生きてるだけでイライラしているのではないかなあ。

そうなれば、人間関係なんか良好に築けないんだから、人間社会の中では益々追い詰められた気持ちになりますよね。この手の場合は本人も自殺(に見えない自殺)まで近いと思います。わざと飲酒運転して事故で死ぬとかね。

④やりたいことはやるべきだと考えているのに出来なくてフラストレーションがたまっている系

やりたいことを実行出来ないでいる人が、やはり同じように、やりたいことを出来ない人を見たときに、自分の無能さを思い出して、不快になって、その苛立ちで「死にたいならそれをやれは?(死ねば?)」攻撃に繋がると思われる。

例えば普段から自殺できるならしたいがなかなか出来ていない人なども。

私も、願いは叶った方がいいと思うけど、死にたい人の願いって、苦しみをとめたいけど方法が見つからない苦しみとか、苦しみをとめたいとか、そういうものからきてると思うから、ちょっとズレているんだよね… それに、この世に「○○であるべき」な事って、ほぼないからね。例えば「生まれたなら死ぬべき」なら万物に通じるだろうと思っても、実は何度も再生する生物とかいるし。不死のクラゲとかもいるし。

▲ だいたいこのあたりだと思われますが、どうですかね。なんか全然違ってたらすみませんが…

ちなみに私は、死にたい人が死ねればいいな(望みが叶うと良いな)と考えていますが、やっぱり 「なら死ねば?」とかは言う気にならないですねえ。

あ~…でも私は個人的にですがもし自分の親が死にたいと言っていたら積年の怨みがあるので「死ねば?」と思うと思うので、

▼ ⑤脅されていると感じ、不安と怒りで「なら死ねば?」がとっさに出る(操られそうになる事への反発、防衛)。 ▲

というのもあるかも知れないです。 はじめはこれは②(親の悩みを解決してあげられない自分の無能さに気付きたくない)に属するかなと考えていたのですが、 嫌なことをしてきた相手に対する恒常的な怒りもあり③(何でもええから攻撃したい)かもなと思いつつ、

もっとこう、「他人に自分の権利を侵害されたくない」という純粋な願いと怒りを自分の中に発見しましたよ。

私の親は「憐れみ」を使って、子供を親がわりにしようとして甘えてきた。全く冗談ではない。私の子供時代を返してくれ。こういう、人生を乗っ取られることに対する恐れやそこから来る怒りみたいなものがあると思います。

…むしろこれ(⑤)が逆鱗の中の逆鱗なのかしら。(少なくとも私にとっては)

それに、かつて親や大人や教師や上司や世間などから理不尽に踏みにじられてきたみじめな記憶があればあるほど、これ以上苦しみを増やしたくないと願うから、防衛機能の働きが強くなっていく感じもあると思うし。

苦しみを取り除く方法が分からないからには、苦しみがこれ以上増えるのは何としてでも防ぎたくなるものね。

まあ、ちゃんと聴ける準備がある人を相手に、安心できる場所(環境下)で、苦しい気持ちをワアワア言えれば、ずいぶん楽になるのですがね。

何があったのかを何百時間も話すより、気持ちをメインに何分か話せれば、随分助かります。 例えばチビッコに実際そうやって対応すると、すぐ気持ちが切り替わるもん。チビッコだって人間なのだから、チビッコが時間を経た人間である大人だって、効果があるはずでしょう?

まあ、日本だと(特に肉体が雄だと)「感情を出すな」的にコテンパンにやられるから、はじめはとても言いにくいかもだけど。

というか、こういう習慣こそ、政府が広めてくれればねえ。(遠い目) …やるわけないよなあ、何でもかんでも自己責任で相手に責任を押しつけて逃げて済ますような政治やってるんだもん。 親かよ(笑)

ただいつも思うのは、身体的な痛みは私はどうしたらいいか分からないので申し訳なく思うのですが…

さて、鈴木が勝手に考察しましたが、いかがでしたか。

いろいろ書きましたが、死にたい奴は死ね、という幼稚な発言が野放しにされる幼稚な社会を日本が卒業出来たらいいですよね。

かくいう私も自分の親には死にたいなら死ねば?と思うと思いますが、もし親たちが私をまともに育てていたら、こうは思わなかったと思うんですよ。笑

これを、「親のせいにするな」とか「人のせいにするな」とか親みたいなこと言って責めて攻撃するより、もっと気持ちを大切にしたコミュニケーションを社会に浸透させようとする運動を始めた方が、建設的だと思うの~。

「子供は黙って親のいうことに従え!」みたいな暴力で人を操ろうとする人、多いでしょう。日本て流血するようなデモが少ないから分かりにくいかもだけど、かなり人の心や尊厳を平気で傷付ける幼稚な国だよ。

子供にだって人権があるんだい。と声を大にして言いたい。

長い話を最後まで読んでくれてありがとうございました。