【雑談】座間9人事件を「残虐だ」「犯人殺せ」と言うけれど
座間のあの人は、死にたいと思っている人達を殺した(願いを叶えた)。生きたいと思って生きている人を9人、無差別殺人したわけではない。
だから、「そこまで残虐なんだろうか?」というのが正直な感想である。
鈴木的には、自殺志願者用の国営の安楽死施設があれば、このような事件は起きていなかったのではないかと思う。 よって国家の怠慢と見ている。
世間の凡人の反応は事件が起きると、 ①残虐だーっ ②加害者を殺せーっ
とあちこちで吠えるところでだいたい終わる。だから、 『同じような事件が起こらないように、我々はどういった手を打てるのか?』 というステージまで話が進まない。 (教育が足りていない)
話が進まないのでまた似たような事件はどこかでいつか起こる。そして繰り返される ①残虐だーっ ②加害者を殺せーっ
これを、いつまでやるつもりなの?(^-^;
また大衆は、よく ③死にたい奴は黙って死ねーっ とも言っているよね。
それなら、座間の彼は9人も死なせてくれたのだから、 ③ の人達にとっては、嬉しいニュースだったはずだ。
何がしたいんだ?
結局、誰かを責めてワアワア言いたいだけなのではないのか。 それなら、在日外国人をワアワア責めてる人達とあんまり変わらないのではないのか。
どうしたいんだ?
鈴木は、すべての人間の悩みや苦しみが減って欲しいと考えているよ。だから、根本的な解決策や改善策を求めるし、その為には事件が発生する仕組み(背景や人の置かれていた環境)まで、繋げて観察する必要がある。
いつもいつも言っているが、オギャーと生まれた一人の「ヒト」が、大人達の間で「人間」に育ち、そこから「加害者」になるまでの間に何があったのか、どういう背景があったのか。
これに思いを馳せずに断片だけ見ては ①残虐だーっ ②加害者を殺せーっ とやっていたら、いつまでたっても解決しないよ。
もし加害者を片っ端から殺しても、加害者が発生する仕組みがまだこの社会に残っているのだから、またどこかでいつか、加害者が発生する。
でもきっと、こういう頭脳労働は好きじゃないんだろうね、
だから彼らは ①残虐だーっ(新しいイベントだーっ) ②加害者を殺せーっ(自分は正しいーっ)
という具合に、エンターテイメントとして事件を消費しているんだろう。
それならば、新しい事件が起きなくなったら無料のエンターテイメントを失ってしまう事になる。だから、根本的な解決は絶対に望まない。
鈴木はこう見ている。皆はどう?
それから、 ④鑑定や裁判などは税金の無駄だーっ だから ②加害者を殺せーっ(すぐに) と吠えているのもよく見かけるが、
法治国家なのでそれは無理だよ。少しは勉強しなよ。本当に人の死が好きだね。野蛮なのはお前だよ。 と思うのと、(笑)
税金の無駄と言えば原発に掛かっているお金や防衛費など、もっとヤバい、多くの皆が知らない無駄がある。私たち庶民が知らないところで、金持ちが優遇されているズルもある。
だが金持ち側からすれば、庶民が争いあっていてくれれば、自分たちが優遇されている事を隠しやすくなるので好都合なんだよ。
だから基本的には庶民同士で ①残虐だーっ ②加害者を殺せーっ とか言っている場合ではない…。
もちろん、自分や自分に近い人達(家族や友人など)が殺されたくないと願っている人からすれば、大事件だったろう。 だから、自分や自分に近い人達が同じ目にあって欲しくないと思ってパニクって叫ぶのは分かる。
ただ、叫んでるだけだと、解決は出来ない。ずっと怯えることになる。だから、解決する道を皆で見つけるために、加害者の置かれていた状態をよく観察する必要がある。
そしてそこで、 ⑤努力が足りない とか ⑥考えれば分かることだ ⑦甘えだ ⑧生まれつきの異常者め
などと責めるのであれば、全く想像力が足りていないし、 その「人を追いつめる性格」が、あらゆる加害者達の背中を押してしまう事になっているんだよ。
意味が分かるかなあ、 窮鼠猫をかむ、みたいなもんだよ。団体になって大きな力で追い詰めたから、牙をむく(問題を起こす)必要があった。
でももし社会が追い詰めたりつまはじきにしたりしなかったら、ネズミは誰かを噛まなくても生活できた。
自分が団体側になるかネズミ側になるかは、完璧には予測不可能だよ。
どんなに気を付けて ⑨自己責任だーっ で生きていたとしても、ふとした弾みで加害者になってしまうときはなってしまう。分かりやすい例は交通事故だし、会社の利益を求めて食品を偽装するのとかだって、全くの他人事じゃない。
そういう加害者側になってしまったときに、浴びせられたいか? ②加害者を殺せーっ みたいな言葉を。大衆から。
いやでしょ? 私は嫌ですよ。
こういう風に色んなシチュエーションを想像して繋げていくと、 基本的には全てのことは「明日は我が身」なのだから、
何か人の落ち度(であると思われる事)を見聞きしたときはまず我が身を振り返る。
今まで加害者側にならずに生きてこられた己の幸運さに感謝する。
その上で、似たような不幸な事件が起こらないためには何が出来るのか?と考える。毎回叫んでいるだけで終わるのではなくてね。
座間9人事件に限って言えば、死にたい人ばかり被害者になっていたわけだが、 「殺されてかわいそう」 と言うだけなら簡単だ。
ニュースを見聞きした人間達のうち何人が 「死にたいほどの苦しさを解決してあげるには自分には何が出来ていたのだろうか」 と優しい気持ちで主体的に考えただろう?
多分殆どの人は、死にたい人の気持ちというものにはあまり興味が無く、 ①残虐だーっ ②加害者を殺せーっ と騒ぐのをエンターテイメントとして楽しんで終わる。そして喉元すぎれば忘れ、次のセンセーショナルな事件を待つ。
そろそろやめようよ。
また、「死にたいと言う人は本当は生きたいんだ。」とドヤアーッ!なってる人もいるが、その人が生きられるように何か具体的な援助とかしてるんですかね?
良いこと言ったあーっ気持ちイイーーー! ってなって終わってませんか…
生きてると他人のエンターテイメントに利用されたりして苦しみがまして行くしそれを独りで解決できないから死のうと思うんですよ。
結局これ「死にたいは生きたいだ」も第三者が言うならエンターテイメントの一環ですわ。 生きちゃったら苦しみが増えちゃうんだよ。
死にたい は ×苦しみを増やしたい ではないよ。
殺して欲しいと頼んできた人や死にたい人を実際に殺そうとして抵抗されても、それは「生きたい」からではなく、生命体としての反応だから。
あと、死にたい人を更に苦しめるのもやめて欲しい。
死にたい は ×なにされても良い ではないし、 ×苦しませて欲しい でもない。
これを勘違いして、精神的に弱っている人を更に追い詰めたり攻撃したりすることが無い安全で平和な社会を望むよ。
だから、もし人権後進国日本で、死にたいという悩みをいつまでたっても解決できないのであれば、こういった事件を減らすためにも自殺志願者用の安楽死施設が要るのである。
「迷惑かけないように死ね」、と人は簡単にいうがかなり大変なので、安楽死施設で燃やして死亡診断書を書き、燃やして骨にして処分するところまで一括で執り行うのが、事件にならず無駄な税金もかからず最も効率的な道である。
おそらく国営であれば、世界各国から国民を殺す殺人国家であるというレッテル貼りされるのを避けるために、カウンセリングがセットになるであろうと私は踏んでいるし、各種の福祉サービスと繋がれるように手配されると思う。
そして「犯罪をわざと沢山してから安楽死させてもらおう」、などなどのズルはバレる仕組みになると思う(^-^;
費用は保険適用だといいな…。
とは言え日本は人権後進国だから、私が生きているうちには叶わないんだろう。でも、国民の多くが求めれば、有権者の票が欲しい政治家が張り切ってくれる可能性もあるので、諦めずに話題にしていきましょうね。
私は偽善者ではないし 犯人擁護しとるのとも違う。 独善的と言われるのもなんだかなあ…である。
ただどうしても、物事の背景は冷静に丁寧に見る必要があるんだ。社会の皆でね。 よろしくお願いします(..)_